第1、第3水曜日0時より開催しています。
2月は平和構築と紛争予防月間です。
いくさのない平和な時代。
古今東西、多くの人々が希求するものです。
ロータリークラブ活動も平和な時代があってこそ。
1920年に誕生した日本のロータリークラブは発足から20年後の1940年、
戦争の影響で一旦解散せざるを得なくなり、関係者のご尽力でRI復帰は1949年。
米山梅吉氏(1946年4月逝去)が亡くなって3年後のことでした。
今から約四百年余り前、愛知県出身の郷土三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)が
戦国の世を終わらせました。
三英傑の一人、豊臣秀吉は名前を何度も変えましたが一番勢いがあったのは羽柴秀吉の時代です。
「羽柴」の「柴」は織田家筆頭の柴田勝家の柴。
「羽」は織田家次席の丹羽長秀の羽です。
木下藤吉郎は、先輩武将から一文字づつ頂き羽柴秀吉と名乗りました。
丹羽という名は愛知県丹羽郡の地名にもあり、当地の方なら「丹羽さん」というお名前の方に
どこかで出会っておられると思います。
丹羽長秀は、天正4年(1535年)丹羽長政の次男として尾張国春日井郡児玉(名古屋市西区児玉)で
出生いたしました。
丹羽長秀出生地
丹羽氏は、代々尾張国守護斯波氏の家臣として仕えておりました。
斯波氏は、足利氏の一門で本来は足利氏惣領となるべき家格であった足利家氏が陸奥国斯波郡を領し、
斯波氏とも称されたことから始まりました。
子孫が尾張守に任ぜられたことから足利尾張守(あしかがおわりのかみ)と呼ばれ、足利幕府成立後は
別格の扱いで武衛家と言われ足利幕府を支える三管領(斯波、細川、畠山)の筆頭でしたが、その後は勢いを失い
斯波氏の家臣で守護代であった清州織田氏のさらに家来の三奉行の一つであった織田弾正忠家の織田信秀に
とってかわられました。(織田信長の父)
丹羽長秀は15歳から織田信長に仕え、年齢が一つ下であったことから弟分としてかわいがられ
長秀も信長に常に付き従い活躍しました。
織田家家中では信長の信任厚く、佐和山城主、若狭一国の国持大名になるなど、柴田勝家に次ぐ有力武将として
大きな地位を占め、木下藤吉郎もこの二人にあやかりたいと一文字を貰い羽柴秀吉と称しました。
いくさ働きもさることながら、長秀が得意としたのは民政と築城でした。
「米五郎左」とあだ名され、米のようになくてはならない存在として織田家中で重宝され、
安土城普請奉行にも任ぜられ内政の要となっていました。
山崎の合戦とその後行われた清須会議では秀吉に与し、豊臣政権樹立に貢献したため
長秀は123万石の大大名となりました。
長秀亡き後、嫡子丹羽長重は幼く4万石に減封後、小田原征伐の功で12万石に加増。
関ケ原合戦で西軍に与したため一旦改易となるものの常陸国古渡1万石、江戸崎2万石、
陸奥国棚倉5万石、白河10万700石と加増を受け、丹羽家の築城術で棚倉城、白河小峰城と
名城を築城しました。
長重の嫡子丹羽光重は、陸奥国二本松(福島県)に移封となり、以後明治維新まで続きました。
江戸城内では大名の控室は、家格により 1,大廊下、2,大広間、3,溜間、4,帝鏡間、
5,柳間、6,雁間、7,菊間、8,無席の8ランクがあり、
大廊下は、徳川御三家や加賀前田家。
大広間は、薩摩島津家、仙台伊達家、熊本細川家といった大大名ですが、
丹羽家は織田家家老の格式から大広間詰めの大名でありました。
民政を得意とする家柄で、藩主はまず領民のことを考えよとの教えが受け継がれていきました。
特に有名なのは、二本松丹羽家五代藩主(長秀からは7代目)丹羽高寛が、『戎石銘』として
二本松藩通用門にある自然石に刻んだ藩主・藩士への戎めです。
爾 俸 爾 禄 なんじのほう なんじのろくは
民 膏 民 脂 たみのこう たみのしなり
下 民 易 虐 かみんは しいたげやすきも
上 天 難 欺 じょうてんは あざむきがたし
『お前の俸禄は、民が脂して働いたその賜物により得ているのである。
民に感謝し いたわらなければならない。
その気持ちを忘れて民を虐げたのなら
きっと天罰が下るであろう。』
という意味で、丹羽高寛が儒学者岩井田昨非の献策により『戎石銘』として建立し
二本松藩丹羽家中の行動規範となりました。
藩主、藩士は民が汗して働いて収めた年貢によって禄を得ているのだから、
民に感謝し、民のことを思いやりいたわらなくてはならない。
この気持ちを忘れて、民が第一であることを考えずに
自分たちの利益だけを考えたのなら、きっと天罰が下るであろう。
藩主、藩士を今の政治家さんに置き換えても、そのまま通用する戒めです。
リーダーたるもの、常に皆のことを考え一番汗をかいて働かなくてはならない。
リーダーは『皆のために奉仕する』役目である。
そのような心構えを持ち組織の長となるのが、大きな組織でも小さな組織でも重要で
どのような組織であっても通ずる心得であると思います。
<ロータリークラブにおいて中心となられている方は、まさに実践しておられると思います>
もう少し、二本松藩の歴史の紐を解きますと、
明治維新の会津征伐に巻き込まれ、少年隊の悲劇がおこります。
官軍と称する長州、薩摩を中心とする軍が、会津に攻め上りますが東北の各藩は
「奥羽越列藩同盟」として行きがかり上、官軍と衝突します。
東北の入り口で要の地である白河に二本松藩主力軍は出兵しますが、
白河と二本松の途中にある三春藩が官軍に下ったため、
二本松城に藩の主力軍が戻れない間に官軍に城を攻められます。
数え歳13歳から17歳までで組織された「少年隊」と呼ばれる25名(広義では64名)の少年兵が
城を守るために活躍したものの多くが討ち死にし、二本松城は落城しました。
二本松城と少年隊の像
会津の白虎隊は有名ですが、少年隊は更に幼い数え年13歳は今の小学校6年生の年齢です。
毎年7月に二本松少年隊顕彰祭や墓前祭が丹羽家菩提寺の大隣寺で開催され、
民を大切にした丹羽家からは、丹羽家第十八代当主丹羽長聰氏も参加されています。
明治維新から150年以上経つ21世紀の現代でも
二本松では、昔の殿様である丹羽さんを慕い、丹羽長聰氏が出席され顕彰祭・墓前祭が開催されることは
素晴らしいことと思います。
なお、丹羽家の江戸上屋敷の跡の一部は、現在の首相官邸。
現在東京在住の丹羽長聰氏は、松下電工株式会社在勤中に名古屋勤務もあり
丹羽長秀公ゆかりの当地にご縁がある方です。
『戎石銘』の拓本は、丹羽長聰氏から直接頂いたものです。(他は私が現地で撮影)
10年ほど前の写真ですが、私と父で遠縁の丹羽長聰氏を囲んでの写真です。
【クラブからのお知らせ】
◆WFFカーボンゼロ植樹例会
開催日 2022年2月26日(土)
開催時間 11時15分 理事会
11時30分 植樹例会
12時 会食(有志)
※出欠の回答はFacebookイベント欄でお願いします。
◆米山記念館訪問
開催日 2022年3月26日(土)
※詳細はFacebookイベント欄に記載予定ですので
ご確認お願いいただき皆さんのご参加をお願い致します。
【22-23ガバナー事務所】
◆2022-23年度会長エレクト研修セミナー(PETS)開催のご案内
開催日 2022年3月5日
開始時間 10時
終了時間 16時
開催場所 名古屋観光ホテル 3回那古の間
対象 会長エレクト
【財団】
◆「ロータリー財団補助金管理セミナー」
開催日 2022年2月18日(金)
受付・昼食 12:00~12:50
セミナー 13:00~15:00
相談会 15:10~
開催場所 名古屋東急ホテル 3 階 ヴェルサイユの間
対象 会長エレクト・次期幹事・補助金担当者
地区出向者
◆「第2回 ロータリー財団委員会 全委員会」の開催日変更
開催日 2022年2月16日(水)
時間 15時~17時半
場所 碧海信用金庫御園支店 6階
対象 地区出向者
◆「臨時補助金委員会」のご案内
開催日 2月9日(水)
時間 16時~17時30分
開催場所 ガバナー事務所会議室
対象 地区出向者
【公共イメージ】
◆2021-22年度・第6回公共イメージ向上委員会
開催日 2022年2月28日(月)
開始時間 16時30分
開催場所 ガバナー事務所会議室
対象 地区出向者
下記の、8名の皆様よりメークアップを頂きました。
塩之谷香様
勝木務様
上田武司様
近藤喜典様
丸尾謙二様
横山宜幸様
森本潔様
市川裕大様