メークアップ
今週の例会
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2020年8月5日開会 (通算306回)

第1、第3水曜日0時より開催しています。

開会点鐘・歌の斉唱

会長挨拶

 みなさん、ごぶさたしています。当クラブは今年度より月二回(原則第一、第三水曜)に変更して
いますので、第五水曜日のある月は三週間あくこともあります。

 愛知県でコロナの勢いが増しています。何か本当に身近に迫ってきた雰囲気です。みなさん、三密を
避け生活して下さい。
 この影響を受けて8月4日に予定しておりました、瀬戸北RCへの表敬訪問も中止となりました。
同じく6日の東尾張分区の会長幹事会も延期になりました。地区内のクラブでも8月の例会を中止の
方向で進んでいます。

 8月1日に私の住む岡崎市の夕方、花火が上がりました。本来は8月の第一土曜日ですので『花火
大会』なのですがコロナで中止になり花火組合のみなさんのご尽力で花火が少し上がりました。
本来は2時間半ぐらい鳴り響く花火の音ですが、約10分間でしたが『花火大会』の雰囲気を楽しめました
来年はきちんとして開催される事を望んでやみません。

 私の住む岡崎市は人口がもうすぐ40万人にとどく『中核市』です。有名な経済雑誌でもランキングで
これからも人口が増えると予想されています。そんな地域ですが今月末に市内で唯一のデパートが閉店
します。10月には都市銀行の一つが撤退し、昨年は最大手の旅行会社が撤退しています。
古い話で恐縮なのですが、東海道新幹線が開通した時、当時の人口20万ぐらいで市内を通過しているのに
駅ができなかったのは(神奈川県川崎市)を除いて岡崎市ぐらいでした。当時、豊橋駅〜名古屋駅の距離
間はかなり長い方でした。(静岡駅〜浜松駅)のどちらかです。当時は三河安城駅、掛川駅、新富士駅は
ありませんでした。

 しかし、外国人のみなさんの定住者も多く、土日にはブラジル銀行の移動ATMが来るようにもなって
います。
 今からどんなふうに発展していくかわかりませんが長く見て行きたいです。
 

メークアップ&スマイル



下記の、13名の皆様よりメークアップを頂きました。

鈴木豊様

安田幸雄様

小原崇様

磯村巌様

月成守康様

關淳之様

野村裕芳様

森康美様

浅岡直幸様

岡本巧様

樫尾富二様

佐々木康浩様

宇佐美太郎様



誠にありがとうございます。クラブを代表しましてお礼申し上げます。

※ご投稿頂いたあとにお支払いをされていないと証明書が発行出来ません。
送ったのに証明書が来ないなどご不明な点がありましたらお知らせください。

卓話

埼玉県川越市について

愛知ロータリーEクラブ 天野 元成
 2017年春に名古屋市から滋賀県甲賀市に転勤となり、名古屋名駅RCから愛知ロータリーEクラブに移籍いたしました。
今年2020年春に今度は埼玉県川越市に転勤となりましたが、引き続き愛知ロータリーEクラブの会員として在籍しております。
どこに転勤となっても、同じクラブで例会に参加し活動が出来るのは、Eクラブならではです。
滋賀県甲賀市在住の時は、近江商人のことや、信楽焼の狸のことを卓話で掲載いたしましたが、今回は埼玉県川越市についてお話を致したいと思います。
川越市は埼玉県にあります。
埼玉県は、2019年に興行収入31億円を上げた映画『翔んで埼玉』で少しは知られましたが、東京都に隣接する控えめな県です。
有名人も少ないですが、皆様が2024年からお世話になる渋沢栄一翁(新一万円札)は、埼玉県出身です。
埼玉県川越市は、『小江戸』ともよばれ、江戸時代の風情がこじんまりと残る城下町であり古い商都でもあります。
坂東平氏の流れをくむ河越氏が平安時代から室町時代初めまで勢力を持ち、その後、江戸城を作ったことで知られる太田道灌が川越城を築きました。
江戸時代に入り江戸の北の守りとして重要であったことから、酒井忠勝、知恵伊豆と呼ばれた松平信綱、柳沢吉保など老中に任ぜられた重要人物が、川越歴代藩主にも任ぜられており、石高も最大で17万石の大藩でした。
また、黒衣の宰相と呼ばれ、徳川家康から三代家光まで大きな影響を与えた大僧正天海が川越にある喜多院の住職であったことから、久能山東照宮から徳川家康の遺骨を日光東照宮に移す際には、その道中の川越喜多院で天海が導師となり大法要を行い仙波東照宮が祀られました。
東照宮は日光東照宮と久能山東照宮が知られていますが、川越にも東照宮があるのはそのようないきさつです。
また、喜多院が寛永年間に川越大火で焼け落ちた際に徳川家光が江戸城御殿の一部を喜多院に移築いたしました。
このため今でも客殿、書院、庫裏として徳川時代初期の建築物が喜多院には残り、家光の生まれた部屋や乳母であった春日局の化粧部屋が現存しております。


これらを運搬するため、川越の新河岸川から荒川を経由して江戸までつながる水運が開かれた結果、川越夜船といわれ夕刻川越を出て江戸に翌日午前に到着する船便で川越は商都としても大いに栄え、明治に入っても埼玉県で市制施行を最初に行った市でもありました。
商売が大きく発展したので、蔵つくりの重厚な家並みが今も残っております。
現在の建物は江戸時代のものではなく明治初めの大火の後に建て直したものがほとんどですが、それでも百年以上前の歴史ある建物です。


商売が発展すると銀行が必要です。
川越の埼玉りそな銀行川越支店の古い建物は、旧第八十五国立銀行の建物で、これも百年以上たっています。


川越は城下町でもあり川越城には江戸時代嘉永年間の本丸御殿が現存しております。


また、童謡『とうりゃんせ』は、川越城内にある三芳野神社に七五三に行くときに謡われた歌といわれています。

<通りゃんせ>
通りゃんせ  通りゃんせ      ここはどこの  細道じゃ
天神様の細道じゃ         ちっと通して下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ    この子の七つのお祝いに お札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りは恐い    怖いながらも 通りゃんせ 通りゃんせ
 
お城の中にある三芳野神社(菅原道真公をお祀りしている)に行くには、門番がいてなかなか怖かったようです。
 
歴史の古い川越は、ロータリークラブの歴史も古く2570地区で最初のロータリークラブとして1951年12月14日に川越ロータリークラブが創立されました。
まだ、お伺いしておりませんが川越在勤中にはビジターとしてお伺いしたいと思っております。
ところで、『九里よりうまい十三里』という言葉をご存じでしょうか。
これは、サツマイモを売り込むためのキャッチフレーズで『九里(栗)よりうまい十三里』の十三里は、江戸から川越までの距離のことで、当時川越で多く栽培されていたサツマイモを川越名物として十三里と表現したものです。
いまでも、川越名物はサツマイモのお菓子が圧倒的に多いです。
お値段も庶民的でお安くおいしいです。

歴史がある中で、庶民的なものもある川越ですが、
ゴルフでも有名です。
東京オリンピックのゴルフ競技の会場でもある、霞ヶ関カンツリークラブは川越市にあります。
昭和4年に開場したこのゴルフ場は日本国内でも屈指の名門ゴルフ場で、
1957年にここで開催されたカナダカップ(現在のワールドカップ)で
中村寅吉、小野光一両プロが大活躍し
日本チームが団体優勝、個人でも中村寅吉プロが優勝したことが、日本でのゴルフブームのきっかけとなりました。
オリンピックは霞ヶ関カンツリークラブの東コースで行われます。
名古屋時代に在籍していたゴルフ倶楽部と霞ヶ関カンツリー倶楽部とが姉妹コースでしたので、行かせて頂きましたが、素晴らしいコースでした。
オリンピック開催には、早く世界でコロナが収束することが必要ですが、
早く収まることを祈願しながら、自分自身も感染防止に更に注意をして行きたいと思います。
 
 
以上、愛知県ではあまり馴染みがありませんが、
私が単身赴任をしている埼玉県川越についてご紹介させて頂きました。
 
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