メークアップ
今週の例会
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2020年3月11日開会 (通算289回)

第1、第3水曜日0時より開催しています。

開会点鐘・歌の斉唱

会長挨拶

新しい一週間が始まりました。今週もよろしくお願いします。

コロナウイルスの感染がとまりません。私の職場でも毎朝出勤前に体温を測り37.0以上あれば自宅待機になっていますし、社員食堂もテーブルに番号が振ってありどこを利用したか記録しています。
Eクラブはネット上の休会はありませんのでメーキャップにどうかよろしくお願いいたします。

本日は財団の父アーチ C. クランフ氏の話です。
「ロータリー財団の父」として知られるアーチ C. クランフは、ロータリー財団創設における自らの役割について、謙虚な姿勢を貫きました。
1928年にクランフは、「ロータリーへの貢献において最も大きな満足感を与えてくれた」達成を3つ挙げていますが、財団設立はその中にありませんでした。その代わりに、1915年のロータリー定款の起草における自らの役割に言及し、この定款が「国際ロータリーを初めて中央集権化し、ロータリーのすべての目的と基本原理を普遍的なものにした」と主張しています。また、出席報告書の確立と、国際ロータリーのヨーロッパ支部の設立を主張した最初の人であったことを誇りに思っていました。
クランフは1869年6月6日、米国ペンシルバニア州カヌートビルという小さな町に生まれました。子どもの頃、一家はオハイオ州クリーブランドに転居し、クランフはここで1911年にクリーブランド・ロータリークラブの設立会員となりました。1913年にはクラブ会長となり、奉仕活動の資金を確保するためにクラブが積立金を設けることを提唱しました。この構想は、ロータリーでほかの役職を務めるようになってからも、常にクランフのータリアンになって5年目、クランフは1916-17年度ロータリー会長に選出されました。会長任期の終わりに近づいた1917年のアトランタ大会(米国ジョージア州)で、クランフはロータリアンにこう呼びかけています。「ロータリーは今、新たな時代に踏み出している。これまでに形づくられた輝かしい原則を実践するための運営手法の改善が、私たちに求められている」。そして行動の6つのポイントを挙げ、そのひとつが基金の設立、すなわび後のロータリー財団の設立でした。
「諸々の社会奉仕を今まで通りに実行していくには、慈善・教育・そのほかの社会奉仕の分野において世界でよいことをするための基金を作るのが、極めて適切であると思われる」
クランフの簡潔でありながら力強い主張により、ロータリーの基金が生まれました。1928年に正式に「ロータリー財団」と改称。管理委員会が結成され、クランフは初代管理委員長として1928年から1935年まで務めました。委員長を退いた後も、ロータリーのリーダーや会員に財団の重要性を教え、寄付を奨励し続けました。 
クランフは1951年6月3日に82歳でこの世を去りましたが、その影響は財団を通じて今も息づいています。
 
 
アーチ・クランフ会長と1916-17年度理事会。上列(左から):F. W. ガルブレイス・ジュニア、E. レズリー・ピジョン、チェスリー R. ペリー、ガイ・ガンディカー。下列(左から):アーチ C. クランフ、アラン D. アルバート

幹事報告

愛知RECホームページの活動予定・メッセージボード・理事会を更新しました。

メークアップ&スマイル



下記の、16名の皆様よりメークアップを頂きました。

髙木繁様

昆享康様

佐々木康浩様

山田拓広様

平子健様

飯尾厚様

上田寛明様

水野和郎様

上野正彦様

髙橋玉樹様

青山周平様

犬塚克明様

松井雅史様

矢口隆明様

宮本周司様

松本健一郎様



誠にありがとうございます。クラブを代表しましてお礼申し上げます。

※ご投稿頂いたあとにお支払いをされていないと証明書が発行出来ません。
送ったのに証明書が来ないなどご不明な点がありましたらお知らせください。

委員会報告

★出席報告         
  第286回 例会 (02/19~02/25) 補正出席率 84.21%
  第287回 例会 (02/26~03/03) 当日出席率 94.74%
  第288回 例会 (03/04~03/10) 当日出席率 78.95%


★3月のロータリーレート  

 110円  (参考 2月ロータリーレート : 110円)

卓話

あれから9年・・・・。

愛知ロータリーEクラブ 森 俊明
連日、テレビも新聞も新型コロナウイルスのニュースが取り上げられ、各地の感染者の数が伝えられる中、今年も3月11日を迎えました。
東日本大震災の発生から9年。私は、この日の記憶が9年たった今も、昨日のことのように毎年蘇ります。

9年前のこの日、たまたま東京へ出張しており、地震発生時は電車の乗り換えでJR上野駅にいました。14時46分に地震発生。震源地の三陸沖は震度7、マグニチュード7.9、東京は震度5強でした。


   

私も50年以上生きて来て、何回か地震の経験はあったものの、この日の地震は、今までに経験したことのない揺れ方とその長さに明らかに異常性を感じました。
長い揺れがおさまったのち、すぐに東京駅へ向かうことにしましたが、すべての公共交通機関はストップし、タクシーさえ拾える状況ではありませんでした。途方の暮れていると、同じ状況の人々のほぼ全員が目的の駅に向かって歩き始めました。私も東京駅へ向かって大勢の人に紛れ寒さも忘れてひたすら歩いたことを思い出します。
途中、安否確認を会社にしようと携帯電話を掛けるのですが繋がらず、公衆電話は歩く道すがらにも現在はほとんどありませんでした。たまに見つけた公衆電話には、100~200人ほどが並んでいました。
震災後、「帰宅困難者」という言葉が定着し、暖かく迎えられた旨の報道がありましたが、地震直後は真逆でした。どこのコンビニも「トイレだけの利用お断り」や、お店やデパート、百貨店は危険だからという理由で、一切中に入れてはもらえませんでした。一緒に歩いていた女性の方々はどなたも困っておられたことを記憶しています。
歩いている最中は一切情報が入らず、被災地に津波が押し寄せていたことも、東京駅のモニターで初めて知った状況でした。
その後、奇跡的に数本動いていた新幹線に乗ることができ、立ちっぱなしで動いたり止まったりして、午前零時過ぎに名古屋駅に着いたことを思えています。

私の中の「3.11」は、以後教訓として繰り返し毎年思い出しては、まだ見ぬ南海トラフ地震などのために少しでも役に立てばと思っている次第です。

被災地では復興に向けた歩みが進んでいますが、今も依然として復興は道半ばの状況です。
今年は東日本大震災追悼式をはじめ、3.11関連のイベントや企画が冒頭の「コロナウイルス」の関係でことごとく中止になっています。
   

こんな時だからこそ、改めて9年前の3.11に心を馳せ、更なる被災地の完全な復興を願い、そして、未来へ向けた災害の教訓として回想したいと思っております。


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