メークアップ
今週の例会
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2020年2月26日開会 (通算287回)

第1、第3水曜日0時より開催しています。

開会点鐘・歌の斉唱

会長挨拶

新しい一週間が始まりました。今週もよろしくお願いします。

22日に東尾張分区のIMが行われました。最後まで開催か中止か揺れましたが開催することで最終的決定されました。同日、三つの分区でIMが開催されています。どの分区も苦渋の選択であったことと思います。少し空席の目立つ会議でした。
基調講演は「ココ壱番屋」創業者の宗次氏でした。一見、雑談を繋げていくタイプの講演でしたがその中で経営者としての役割と責任について解き明かせていく内容だったと思います。私としては珍しいタイプの講演でしたがここに残る講演でした。

遡って18日に分区の会長幹事会が小牧市で開催されました。東尾張分区は地区内でも年に4回開催予定で多い回数です。ここで最終的にIMの開催が正式に発表されました。やはりリアルクラブの活動報告は規模も大きく、また、継続事業の重要性を感じます。

本日はポールハリスの歴史です。
 
ポール・ハリスの歴史
シカゴで弁護士業を始めたポール・ハリスは、仕事を通じて知り合った数人の仲間を集め、地元の職業人から成るクラブを結成するという構想について話し合いました。その後、1905年2月23日、ハリス、ガスターバス・ローア、シルベスター・シール、ハイラム・ショーレーの4人が、シカゴ中心街のユニティ・ビルにあるローアの事務所(711号室)に集まり、これが世界初のロータリークラブ例会となりました。
「立身出世するために農場や小さい村からシカゴにやって来た若者たちが大勢いるはずだ...。彼らを一堂に集めたらどうだろうか。彼らも自分と同じように友情を求めているとしたら、きっと何かが生まれるに違いない」
1907年2月、シカゴ・ロータリークラブの3代目会長に選出されたハリスは、1908年秋まで会長を務めました。会長の職を退く少し前、ハリスはロータリーをシカゴ以外にも広げようと試みていました。経済的負担が大きくなることを懸念した数人の会員が拡大に反対しましたが、ハリスの粘り強い活動の結果、1910年、米国のほかの主要都市にもクラブを結成することに成功しました。
ハリスは、長い闘病生活の末、1947年1月27日にシカゴにて78歳で永眠しました。
その後、ハリスを追悼する多くの寄付が世界中から寄せられ、今日もハリスの名の下に多くの支援が行われています。

幹事報告

クラブホームページの活動予定・メッセージボードを更新しました。

メークアップ&スマイル



下記の、30名の皆様よりメークアップを頂きました。

岡田崇裕様

清田晋也様

太田安則様

鈴木愛様

柴田隆郎様

小出一輔様

佐々木康浩様

今泉孝朗様

永田章様

野村裕芳様

堀美利様

芳村浩次様

片岡憲明様

原敏城様

橋口久様

草地邦晴様

加藤泰寛様

小島京子様

本間秀樹様

古橋武之様

寺原二三俊様

伊藤清隆様

山口嘉都様

南鉉様

青山周平様

半井大様

木下雅隆様

内藤秀樹様

原田和也様

山下一彦様



誠にありがとうございます。クラブを代表しましてお礼申し上げます。

※ご投稿頂いたあとにお支払いをされていないと証明書が発行出来ません。
送ったのに証明書が来ないなどご不明な点がありましたらお知らせください。

委員会報告

★出席報告         
  第284回 例会 (02/05~02/11) 補正出席率 85.00%
  第285回 例会 (02/12~02/18) 当日出席率 65.00%
  第286回 例会 (02/19~02/25) 当日出席率 80.00%


★2月のロータリーレート  

 110円  (参考 1月ロータリーレート : 110円)

卓話

信楽焼 (職場訪問例会 Part2)

今日は、先日行われた職場訪問例会のその2です。

昼食後、現在、NHK連続テレビ小説「スカーレット」の舞台になっている「信楽」を訪れました。

ここで、「信楽焼」の歴史をすこし。
信楽焼の始まりは13世紀後半、常滑窯からの技術が導入されて生み出されたと考えられている。
鎌倉時代には水がめ、すり鉢、壺などが作られ、室町、安土桃山時代になると茶道具も作られる。本能寺の変の時、堺で孤立無援となった徳川家康が三河へ帰る途中、信楽の豪族、多羅尾一族の援助を受けたことから、後に茶壷が幕府御用達となったというエピソードがある。
17世紀には、釉薬を施した施釉陶器が全国的に流通し、信楽でも生産の主流となる。また、連続式登り窯の登場もあり、焼き物作りは大量生産の時代を迎える。
明治以降は時代が求める焼き物を模索し、第二次世界大戦末期には金属不足から陶器製品の需要が高まり、なかでも信楽焼の火鉢は全国シェアの80%を占めるまでになった。しかし石油ストーブの普及にともない火鉢の売上げは激減。そこで、植木鉢、外装タイル、花器へと品種転換を行い、回避してきた。
信楽焼と言えば、狸の置物。狸が全国に知られるきっかけは昭和26年(1951)、天皇陛下が信楽をご訪問の時、沿道にずらりと並べた狸の置物に旗を持たせてお迎えしたところ、狸を歌に詠まれたことだった。持ち物の徳利に人徳が身につくなど八つの縁起の意味を持たせたこともあり、縁起物として広がった。しかし、そのイメージが強すぎて、信楽焼本来の特徴が一般的に知られていないかもしれない。

「をさなき日 あつめしからに なつかしも 信楽焼の 狸をみれば」--昭和天皇

信楽の土は、約400万年前、この地にあった琵琶湖の湖底に堆積してできた古琵琶湖層の粘土が使われます。周辺に良い陶土はあり、窯を築くのに都合のよい傾斜地と巻きとなる木の宝庫である山々に囲まれた信楽が、焼き物作りに適した土地です。
信楽焼には数々の伝統的な特徴があります。小石混じりのざっくりとした肌合い、土の鉄分が焼成時に酸化して発色する赤褐色の素地、そのほか、灰被り、焦げ、石はぜ等、表情も技巧も多彩なことで知られています。


当日は、山の斜面を利用し、国内最大級の「登り窯」を構える窯元の「宗陶苑」を訪ねました。



※「登り窯」 山の斜面を利用し、細長い部屋を数室連続し、次第々に室内の容積を大きくし余熱を利用しながら焚き上げていく形状の窯のことを言います。

ここの登り窯は、朝ドラ「スカーレット」のロケにも使用され、物語の時代を再現するために、現代的なものは見えないようにされたそうです。


訪問した日は、「窯詰作業」でした。
宗陶苑では、棚組による窯詰作業に一月半、窯焚き7昼夜、さまし3日、窯出し、窯の補修等に10日だそうです。








 
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