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ロータリーの歴史
前々回の続きになりますが、ロータリークラブ発足時の様子についてお話しします。

1905年2月23日の最初の会合と4人のメンバーは知られていますが
2回目の会合となるとあまり語られることもなく、歴史に埋もれてしまっているかのようです。

しかし、その2回目3回目が現在のロータリークラブの礎となる、かなり重要な会合だったことが分かりました。

その2回目以降の会合について垣間見れる資料がありましたのでご紹介します。
ロータリー発祥史 -- 小堀憲助著
 
第2回目の会合 1905年3月9日

歴史的な1905年2月23日の最初の会合では、ポールが基本構想を話したらしいですがクラブ結成については話されず、
2週間後にもっと会員を勧誘しようという事で解散したようです。

そして、第2回目の会合は3月9日にポール・ハリスの事務所で開かれました。
出席者は最初の4人の他に

5番目の会員:ハリー・ラグルス(印刷業)
6番目の会員:ウイリアム・ジェンセン(不動産業)
7番目の会員:アルバート・ホワイト(楽器製造業)


が新たに加わりました。
2回目から3人も増えたのです。

しかも、後のロータリーに影響を与えるロータリーソングの生みの親、ハリー・ラグルスは2回目からの参加なんですね。

1回目にたまたま出られなくて2回目から参加したもしれません。
Big4として伝えられないのはなんとももったいない。


入会当時のハリー・ラグルス      ロータリーソング生みの親、張り切るハリー・ラグルス


最初の会合のメンバー、ガスターバス・ローアはその後短期間でやめてしまったようなのでハリー・ラグルスを最初のメンバーとして入れ換えてあげたいくらいです。
(最初の会合場はローアの事務所なのでそうも行きませんが)


そして、この会合では会員相互の理解を深めるという目的から、
会場を各会員の職場で開くことが提案されました。
 
第3回目の会合 1905年3月23日

第3回目の会合は、シルベスター・シールの事務所で開かれ、出席者には更に2人の名前が追加されています。

チャールズA.ニュートン(保険会社)
アーサー・アーウィン(洗濯業)


この会合では、
シルベスター・シールを会長に、
ショーレーを記録係に、
ウィリアム・ジェンセンを文書係(幹事)に、
ラグルスを会計に選任、

新クラブの名称が検討されました。

そして、第3回目の会合ではすでに現在のRIの定款にもある
「連続4回欠席したる者は会員資格を喪失すべきもとする」という規定が決まったようです。

また、会場がシールの職場だったことから石炭業界についての話をしたと言われ、これが最初の卓話ではないかと言うことです。

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名称の決定及び役員の任命されたことから考えますと、法律的にはロータリー・クラブの成立は1905年3月23日に行われた第3回目の会合が適当であり、それ以前のものは設立準備会と考えてもいいという意見があります。
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確かに、これだけのことが検討されたのだから、第3回が本当の意味で創立記念日なのかもしれません。


そうなると、創立メンバーはポールハリスを含め9人のメンバーとなります。
これだと始まりとしてはいきなり多めな人数ですね。

「ユニティ・ビルの小さな部屋で4人で始まった」とした方がロマンがあります。
2月23日を最初としたのは、そのあたりのストーリー性を意識したのかもしれません。


初期メンバー


ここから会合は続き、ロータリーという名前に決まるまで、
この辺りもまたまとめてみたいと思います。



 

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