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今週の例会
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ロータリーの歴史
先週の挨拶では、ロータリークラブの発足時の様子をご紹介しました。


しかし、ポールハリスを含む4人の創設メンバーという紹介をされることが多く、ポールハリスについては名前その他聞き及んでいますが、それ以外の3人については名前すらさっとは出てきません。

同じ創設メンバーなのだからポールハリスと同等に知らないといけません。そこで今週は、ポールハリス以外の創設メンバーについて調べてみました。


まずは、4人の略歴を表にしてみました。
 
名前 職業 生年月日 出身 発足時年齢
ポール・ハリス 弁護士 1868年4月19日 ウィスコンシン州生まれ
バーモント州育ち
36歳
ガスターバス E. ローア 鉱山技師 1864年10月18日 イリノイ州 40歳
シルベスター・シール 石炭商 1870年 メイン州 35歳
ハイラム・ショーレー 洋服仕立業 1862年6月 インディアナ州 42歳

写真の印象では、みんな老け顔なのか、セピアカラーのせいか分かりませんが、
結構な年齢だと思ったのですが、思ったよりも若いので驚きました。今風に言うならアラフォーですね。



どうも、この写真は設立から数年後で1905年撮影ではないようです。
1912年あたりのようですが、それでも老け...いや貫禄十分ですね...

話が逸れました。
それでは一人ずつ見てみましょう。
 
ガスターバス E. ローア
活動・役職など
最初の例会が行われたシカゴのユニティービルの事務所711号室はローアの事務所だった。
ロータリアンだった期間はわずか数年で、クラブでも国際レベルでも役職に就くことはなかった。

人物像
ある時は熱烈に派手なジェスチュアを交えて話し込んでいるかと思えば、一瞬の間にそうした気分はかき消え、羊のように静かになってしまう。
ローアは寛大過ぎる位に寛大であり、友人を助けるのに最後の1セントまで快く与え、また彼の同情を素直に受け入れないものは一人もいなかった。
ロータリーの創立に加わった数年後に彼は世を去ったが、彼を知る者は皆、彼の死を悼んだ。

 
シルベスター・シール
活動・役職など
1905年シカゴ・クラブの初代会長

人物像
際立って人なつこく、とっつき易い人柄であった。両親はドイツ人で子供の頃かなりの辛苦を味わって育ち、誰の援助も得ずにシカゴで石炭の商売を成功させたが、同時に弟や妹のみならず、姪や甥にまで、面倒見のよい人物でした。ハリスは偉大な人道主義者としてのシールを深く尊敬し、永年の間住まいも隣り同士だった。また、ハリス自らの希望で、生涯の友、シールの墓のすぐ隣りの墓に葬られた。
 
ハイラム・ショーレー
役職など
クラブの初年度には、書記係を担当。
ロータリアンとして数年間活躍した

人物像
優しくて気持ちの良い性格で社交好きな人物だった。職業は洋服商で、いつも自分の出身地メイン州の自慢話をしていた。しかし、彼は途中、やむを得ない事情があったため会員を辞めているが、ロータリーへの関心を失うことなく、運動の草創期の想い出を大事にした。






シール以外は早い段階で辞めているせいもあると思いますが、
ポールハリスに比べると、参考文献が少なく情報がほとんどありませんでした。

しかし、ハリスと他の3人の人物像や相関が分かり、発足時の雰囲気はまた少し理解できました。

実は4人というのは1回目だけで、
2回目の例会から参加のメンバーも3人増えて7名となり、

実際の創設にはもう少し多いメンバーが関わっているようです。

2回目-3回目の例会がどうなっていくのか、
さらに調査したいところであります。


参考
https://www.rotary.org/myrotary/ja/first-four-rotarians
http://www.kishiwada-east-rc.jp/information/07-information/info10.htm

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