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ロータリーの歴史
ロータリーの歴史シリーズはまだまだ続きます。(先週はアーサー・フレデリック・シェルドンについて)

最近では拡大と増強がなかなか難しく苦労している状況ですが、
初期のロータリークラブはものすごい勢いで拡大していきました。今週はこの辺りを追ってみます。

1907年、ポールハリスがシカゴクラブ第3代の会長となって、奉仕の概念の導入とロータリークラブの拡大を推し進めようとしましたが、
これらに反対の立場をとる親睦互恵派との対立が発生してクラブ存続の危機に陥ってしまいます。
そんな対立の中でもポールハリスはロータリークラブの拡大の必要性を唱え拡大に注力しました。

そして1908年に、2番目のロータリークラブが誕生します。

それはサンフランシスコでした。

この様な経緯で出来たようです。

シカゴ・クラブの会員のマニュエル・マノズという商人がサンフランシスコに商用で行くことを知ったポール.ハリスが、そこにクラブを創設することを依頼した。
そしてマノズはたまたま幸運なことにも若い弁護士のホーマー・ウッドと知合いとなり、ロータリーの話をしたところウッドはこれにいたく共鳴し、間もなくサンフランシスコクラブ創立に成功したというのである。

参考:ロータリー発生史


創立から8年経った1916年のサンフランシスコクラブの様子


1913年に発行されたサンフランシスコクラブの認証状



サンフランシスコクラブのチャーターメンバーとなったホーマー・ウッドはその後
太平洋沿岸の諸都市にロータリークラブ作りを熱心に行ない,
1909年には隣りの都市にオークラソド・クラブを,次いでロサンゼルス、シアトル等々にロータリークラブを設立しました。、


同様に東海岸では、シカゴクラブ第一の人格者である鋳物工場経営者フレッド・トウィードがクラブ作りに成功しています。
このようにして、先々週紹介した全米ロータリークラブ連合会ができた1910年には
全米に16のクラブが出来上っていたといわれています。

以下の16クラブでした。
ボストン,
バッファロー
シカゴ
カンサス.シティ
ネブラスカ州のリンカン
ロスアンゼルス
ミネア ポリス
ニュー.オルリーンズ
ニューヨーク. シティ
オークランド,
ポートランド,
セント. ルイス
セント・ポール,
サンフランシスコ,
シアトル
タコマ


1905年2月23日に4人でスタートしたロータリークラブがたった5年で全米に16クラブにまで拡大したのです。
そして、1910年11月3日に初めてカナダのウイニペッグ・クラブが出来てロータリーは国際的なものとなりました。
その結果、1912年に全米ロータリークラブ連合会から国際ロータリークラブ連合会となりました。
さらに1922年には国際ロータリーとなります。

このようにして、ロータリーは単にアメリカ合衆国ばかりでなく国境を起えて拡大発展すべき先鞭がつけられたのです。


カナダに次いでイギリス(イングランド・アイルランド)
1916年にハバナ
1918年アジアで最初のロータリークラブができたのが、フィリピン・マニラでした。
1920年にはスペインのマドリッド(ヨーロッパ大陸最初のクラブ)を創設し
その後、フランス、オランダ、デンマーク、スイスのチューリッヒと拡大、

この年、日本にも東京ロータリークラブが創設されました。
日本最初の東京ロータークラブは855番目に認証されたクラブでしたが、もうすでに855番目という数であった事から
ものすごいペースで拡大していった事が伺えます。


さて、そろそろ日本のロータリーにも目を向けてみたいと思います
つづきは次会に。

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