メークアップ
今週の例会
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ロータリーの歴史
私どもEクラブは例会がネット上で行われますが
日本のクラブでは基本的に、昼に集まり昼食をし、点鐘を鳴らし、歌を歌い、
挨拶や報告、卓話などを行うスタイルが一般的です。

この「例会」が創成期にはどのように行われ、
またいつから今のようなスタイルになったのか気になりましたので調べました。
 
例会のスタイルがどのようにして出来上がったのか

現在行われている例会の様式は、けっこう早い段階で確立していたようです。
まず初期の会合が行われ決まったことを順にご紹介します。
 

第1回 1905年2月23日

一人一業種で親睦を深める会を作るという設立の主旨が話し合われる。

 

第2回 1905年3月9日

・事業の経営者、共同経営者、または会社役員でなければ会員になれないことが決められた。
・今後の会合は、会員の事業所を持ち回りしてはどうかという議論がされた。

 

第3回 1905年3月23日

・クラブの役員が決定
・ロータリークラブという組織の名前が決定
・役職も一年限りでローテーションすること
・例会出席をクラブ活動の根源と考え、四回連続して休むと会員資格を失う

・ポールの指名によって初代会長にシルベスター・シールが就任したことで、
 依頼されたことは、どんなことでも快く引き受けるというロータリーの伝統が生まれる。

・シールが石炭業界のことを話した。(卓話の始まり)
 


4回〜6回

チャールズ・ニュートンが昼食に思わぬ時間が掛かって遅刻したことを契機に、どうせ皆昼食を食べるのだから、
一緒に食べる方が効率的だということで、昼食会を兼ねることに。



7回目以降

・昼食を食べる必要から、第7回はホテルで行われた。(シカゴのポーマーハウス)
・以降ホテルやレストランで開かれるようになり、やがて固定化。

・親睦にひびが入るほどに白熱した議論の場を和らげるために、ハリー・ラグルスが歌い始めた。(ロータリーソングの始まり 1905年秋頃)

・初めは二週間に一回だった例会も、「二週間に一回集まれるなら、毎週集まれないはずはない。」という理由から週一回開くようになる。
(毎週にしたのは1909年カリフォルニア州オークランドクラブ)



最初のホテルでの例会が行われたポーマーハウス         ポーマーハウスのレストラン


ポーマーハウスのレストランはかなり豪華です。以降ホテルやレストランで開かれたのも納得ですね。
この様な流れで、初期のロータリークラブ「例会」が形成されて行きました。


驚いたことに、7回目にはほぼ今のスタイルになっていたこと、
ロータリーソングが設立から半年後
開催が毎週になったのが4年後と
かなり早い段階で今のスタイルが確立していたことになります。


ロータリーには、ハイかイエスしかないというお話をガバナーから聞きましたが、
この伝統は3回目にして誕生していたのが驚きました。


また、初期のころから例会こそ今日のスタイルとほぼ同じスタイルで行われるようになりましたが
クラブ自体の運営、親睦など行われていたことは現在とは大分違ったようです。

ビジネス寄りの組織で、奉仕という概念は全くなかったようです。
この辺りの、初期のロータリーの実態については次回にお話しします。


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